感染症と「死」、そして企業経営―戦前の日本社会から「コロナ後」を考える

Opinion

東京大学教授 清水 剛

 新型コロナウイルスは日本、そして世界の経済と企業経営に大きな影響を与えた。またそれだけでなく、新型コロナウイルス「後」の社会における経済の仕組みや経営はコロナウイルス「前」の経済や経営と異なってくるのではないかとしばしば言われている。

 それでは、新型コロナウイルスの後、日本企業の経営はどのように変わっていくのだろうか。もちろん、現時点でそれを確実に予測することはできないが、過去にあった状況で似たようなものを探し、そこにおける歴史的文脈とそこで起こった変化を観察し、それを現在の状況と比較することで変化の方向性を考えることはできるだろう(橘川武郎「経営史学の時代 : 応用経営史の可能性」『経営史学』40(4), 28-45, 2006)。

 このような「似ている状況」として想定されるのが、全世界的に流行したスペイン風邪の後の、すなわち戦前の日本社会である。スペイン風邪前後の社会における対応は日本のみならず世界的にも注目されており、日本でもしばしば言及されている。

 そこでここでは、まず戦前の日本社会がいかなる意味で「コロナ後」の社会に似ているのかを検討した上で、そこにおける感染症や死の問題と経営の変化がどのように関連しているのかを明らかにし、そこから「コロナ後」の経営について考えることにする。

「コロナ後」と戦前の類似性と相違

スペイン風邪の人口当たり死者数

 まず、新型コロナウイルスと比較しながら、戦前の日本社会においてスペイン風邪がどのようなインパクトを持ったのかを考えていこう。

 スペイン風邪は全世界で数千万人の死者を出したとされるが、日本での死者はおよそ40万人、第1波(1918年8月-1919年7月)の死者は26万人、人口1,000人当たり死者数は4.5人となっている(池田一夫他「日本におけるスペインかぜの精密分析 」『東京健康安全研究センター研究年報』56, 369-374, 2005. 上記数値は内務省衛生局による)。

 一方、新型コロナウイルスの人口当たりの死者数を見ると、一番被害の大きいヨーロッパ諸国で100万人当たり500人前後であり、これを1,000人当たりに換算すると、0.5人前後ということになる(札幌医科大学『人口あたりの新型コロナウイルス死者数の推移』)。

 つまり、スペイン風邪の第一波における日本での人口当たり死者数は、現在のヨーロッパの人口当たり死者の大体10倍弱となる。日本での死者は現時点で大体100万人当たり5名程度であるから、日本の人口当たり死者数と比較すればざっと1,000倍と思っておけばよいだろう。なお、当時の日本の人口はおよそ5,500万人、現在の日本の人口の半分弱であった。スペイン風邪のインパクトは現代の日本で80万人が亡くなるようなインパクト、といえばおよそ想像できるだろうか。

 もっとも、いうまでもなく戦前に人が亡くなる要因はインフルエンザ(スペイン風邪はインフルエンザの一種である)だけではない。厚生労働省の資料では、戦前の死亡の半数は感染症であるとしている(図1-2)。また、しばしば引用される厚生労働省「人口動態統計」による死亡率の推移(図14)をみると、戦前の主たる死亡要因は肺炎(インフルエンザを含む)、胃腸炎、結核であることがわかる。すなわち、インフルエンザを含む感染性の肺炎や同じく感染性の胃腸炎(赤痢等)、結核といった病気により人々が亡くなっているものと考えられる。

結核の人口当たり死者数

 この中で、特に病名が明示されているのが結核であり、また1930年代には死亡要因の第1位を占めることになる。この結核の死亡率は1910年に人口10万人当たり230.2、1918年には日本で最悪の値となる257.1、その後緩やかに低下するものの、戦時にまた増加し、1944年に235.3となる(岩崎龍郎「日本における結核の歴史:結核はヨーロッパ人 が伝播したのか」『結核』56(8), 407-422, 1981. )。その後、1951年に特効薬となるストレプトマイシンが導入され、その後劇的に死亡率が下がることになる。

 これを人口1,000人当たりになおすと最高値が2.57ということになり、スペイン風邪の流行のピークよりは少ないが、新型コロナウイルスによるヨーロッパでの死亡率の数倍になることは間違いない。また、産業別の死亡要因(産業別のため就業者のみが対象となる)で見て、工業・商業では1920年の時点でスペイン風邪による肺炎・気管支炎に続く第2位の死因となっている(中原俊隆他「わが国の産業別死亡格差に関する戦前戦後にわたる長期的観察」『民族衛生』50(3), 141-155, 1984.)

感染症による「死」が身近な社会

 すなわち、スペイン風邪は確かに日本社会に大きなインパクトを与えたが、スペイン風邪「のみ」が日本社会にインパクトを与えたわけではない。戦前の日本というものは、スペイン風邪のみならず、結核を含む様々な感染症に日常的にさらされており、その意味で感染症による死がより身近な社会だったということになる。

 この意味において、スペイン風邪後の社会のみならず、戦前の日本社会というのは「コロナ後」の社会に近い。新型コロナウイルスが社会にもたらした大きな衝撃の1つは、我々が日常的に働く中でこれまで直面してこなかった(あるいは直面していないと思っていた)「死」というものが実は身近にあることを示したことである。

 普通に働いているタクシーやバスの運転手、あるいはナイトクラブやレストランの従業員、あるいはオフィスワーカーでさえも、働く中で新型コロナウイルスに感染し、あるいは感染させてしまう。その結果、一部の人は死に至る。これまで、特に日本社会ではあまり意識されてこなかった、普通に働いているうちに死に至るという恐怖を新型コロナウイルスは如実に示した。

 そして、このような恐怖は戦前の日本社会においては常に存在するものであった。つまり、「コロナ後」の社会の1つの特徴を、「死」というものの存在を日常の中に感じるようになった社会、と捉えるならば、戦前の日本社会はこのような特徴がより強く存在した社会ということになる。

「死」と企業経営

 このような、労働者にとって「死」が身近にある世界において、企業の経営というのはどのようなものになるのだろうか。とりわけ、この感染症のような「死」の可能性に対して、企業はどのような対応をとるのだろうか。

 ここで一旦歴史を離れて、まず少し論理的な整理をしておくことにしよう。

「死」が身近な社会において予想される経営の方向性

 死が身近な社会、というのは、少し言い方を変えてみれば、いわゆる人的資本(ここでは、熟練などによって得られる知識やノウハウなどから、人間関係のネットワークのようなものまでも含む広い意味で使っている)が損なわれやすいものであることを意味する。ただし、死亡率や健康状態は対策により改善できるため、この人的資本が損なわれる程度そのものを減らすことができることになる。

 話を単純にするため、ここでは人的資本の蓄積について、主として経験によって蓄積されるものを考えることにしよう。そうすると、人的資本を獲得するためには生活・衛生環境の改善や賃金の上昇によって死亡率を抑え、また定着率を高め、あるいは他の企業からの移動を促すことが必要となる。

 ゆえに、これに対する1つの方法は、生活・衛生環境の改善に投資をすることで、人的資本の蓄積を促すことである。

 しかし、一方で感染症により人々が亡くなりやすいのであれば、そのような投資をしてもソロバンに合わないと考える経営者もいるかもしれない。そのような経営者は、法によって要求されるのでなければ、積極的に生活・衛生環境の改善に投資をしようとはしないだろう。このような場合には、例えば熟練労働者だけには環境改善を行うが、それ以外の労働者はいわば「使い捨てる」形になる。

 なお、(例えばそれこそ感染症により)労働者の数が少なくなり、労働市場がひっ迫してくると、賃金が高くなるか、あるいは生活・衛生環境の改善のような形で労働者を確保する必要が出てくる。これは結果として生活・衛生環境の改善につながるが、一方で労働者を多く雇用しなくても済むように労働節約型の投資が行われるかもしれない。

 逆に労働者の数が多ければ、労働者を使い捨てることが可能になり、生活環境への投資等は行われないことになる。

 以上をまとめると、いささかラフな想定だが、「死」が身近な社会において予想される経営の方向性は2つである。

A 一般の労働者も含む広い範囲に生活・衛生環境の改善を行い、その結果として人的資本の蓄積に結びつける。場合によっては、労働節約型の投資が並行する可能性がある。

B 一般の労働者については生活・衛生環境の改善なども行わない。ただし、この場合でも例えば熟練工や一部の事務労働者については生活・衛生環境等の改善のための投資を行う可能性がある。

 端的に言えば、は生活環境や衛生環境に積極的な投資をし、また状況に応じて物的資本にも投資するという方向性であり、は熟練労働者を除くほとんどの労働者を「使い捨て」、かつ物的資本にも投資しない、という方向性である。

 注意してほしい点は、労働者が多い場合にに近づくが、この場合には安い労働力に依存できるため、物的資本を労働で代替することになり、結果として設備投資等は行われない、という点である。労働が安い分設備投資に回るのかというと、論理的にはむしろ逆で、賃金が安い分だけ労働を利用し、設備投資をしないことになる。

次ページでは、戦前期紡績業の経営を「女工哀史」「鐘淵紡績、倉敷紡績などの先駆的事例」を手がかりに検討する。

コメント

タイトルとURLをコピーしました