感染症と「死」、そして企業経営③―戦前日本企業は短期志向をどのように克服したか

Opinion

戦前の投資家と経営者の関係(続き)

経営の執行と監視の分離

 ところが、このような状況は徐々に変化してくる。大正期に入ると、経営の規模が拡大し、また複雑になっていく中で、大学出の経営者の影響力が拡大し、他方で投資家は取締役であることによる「わずらわしさ」から逃れるために取締役にならなくなり、取締役の地位を占める専門経営者の数が増加してきた。

 これらの専門経営者は、しばしば「専務取締役」あるいは「常務取締役」という肩書を持っていた。ただし、専務取締役・常務取締役の意味は現代とは異なっている。当時、社長はしばしば非常勤だったのに対し、実際に経営を担当する実務上の責任者(通常は専任で常勤)が専務取締役あるいは常務取締役だったのである。つまり現代でいえばむしろ社長代理のような地位だった。

 このような専門経営者の取締役への進出、とりわけ専務取締役あるいは常務取締役への進出は大正から昭和初期にかけて急速に進展した。森川英正のデータ(森川前掲書)をもとに、筆者と松中学・名古屋大学教授が構築したデータセットを利用して計算してみると、1913年の時点で日本の大企業の取締役の16%が専門経営者によって占められているが、専務取締役・常務取締役だけをみるとこの比率は約40%となる。1930年になると、日本の大企業の取締役のおよそ40%を専門経営者が占め、専務取締役あるいは常務取締役については、約60%を専門経営者が占めることになる(清水剛・松中学「代表取締役の誕生」(未定稿))。

 このような専門経営者、すなわち株主ではない経営者の取締役の地位の獲得は、取締役の間で「経営を担当する取締役」と「監視を担当する取締役」の機能分化を生み出した。すなわち、経営そのものは専務取締役や常務取締役等(その多くが専門経営者)に委ねられるようになり、一方で社外取締役(当時の言葉では社外重役)は株主の利益を代表して経営を監視し、意見を述べていた(例えば岡崎哲二「日本におけるコーポレート・ガバナンスの発展――歴史的パースペクティブ」『金融研究』13(3), pp. 59-95, 1994)。

法人株主の影響力の増大

 また、株主の影響力にも変化がみられた。1920年代になると、従来株主からの払込が大きなウェイトを占めていた資金調達において株主への依存度が低下した(中村前掲論文)。また、株主の中で個人株主の存在が縮小し、財閥本社のような持株会社や同業他社、あるいは生命保険会社などの機関投資家の存在が大きくなってきた(志村嘉一『日本資本市場分析』東京大学出版会、1969, pp.406-428)。

 すなわち、明治期にはほぼすべての取締役は投資家やオーナー一族であったが、大正から昭和にかけて次第に専門経営者が進出し、経営そのものはそのような専門経営者(あるいはその他の常勤の経営者)に委ねられていった。一方で、企業の株主への依存度は低下し、また株主の側も個人株主から法人株主に変わっていった。

「引き込み」と「共存」:鐘紡にみる株主と経営者の対話

 このような中で発生してきたのが、経営者による株主の「引き込み」と「共存」とでもいうべき状況である。すなわち、経営者の側で株主に対し、長期的な視野に立つ経営の重要性を説得し(「引き込み」)、配当を抑えて内部留保を増やす(あるいは労働者福祉を充実させる)ことを認めさせ、あるいは株価を吊り上げようとする動きを抑制する等する一方で、取締役のような形で株主の経営への参加を維持し、さらに株主の意向に応えて時によっては増配などを行う(「共存」)という形で株主と経営者の協力関係を維持するものである。

 このような「引き込み」と「共存」の先駆的な事例というべきものは1900年前後の大阪紡績(のちに三重紡績と合併して東洋紡績)であるが、少し遅れた事例として、第1回でも登場した武藤山治率いる鐘淵紡績(鐘紡)が挙げられる。

 武藤は、1900年に全社の支配人に就任して以降、株主が長期的視点に立つことの重要性を株主に対して説得し、減配を認めさせ、その後も株主による株価の吊り上げや増配を目的とする動きを抑え込んだ。しかし、その一方で、日露戦争の時期以降は順調な業績をもとに高配当を維持し、これによって労働者福祉の向上などを含めた自らの経営方針に対する支持を取り付けた(川井充「 従業員の利益と株主利益は両立しうるか?―鐘紡における武藤山治の企業統治」『経営史学』40(2), pp. 51-78, 2005)。

 また、株主についても三井合名会社や従業員持株会等は安定株主となっており、外部株主でも武藤の経営方針を支持する株主が増えてきた。武藤が社長に就任した1921年以降は必ずしも高収益・高配当を維持し続けられたわけではないが、配当を安定的に維持しながら、企業の社会的な責任等について株主を説得し続け、結果的に株主の支持を維持していた。武藤自身のある種のカリスマもあったものと思われるが、武藤の社長退任時には株主から留任運動が起こったという事実が株主の強い支持を物語っている(加藤健太「武藤山治の株主総会運営―鐘淵紡績「株主総会議事速記録」の分析」『高崎経済大学論集』60(4), pp. 219-248, 2018)。

 武藤に関しては、第1回でも触れたように、その労働者福祉政策について、功利的な判断に基づいており、あくまで株主を重視しているという指摘もあるが(兼田麗子『福祉実践にかけた先駆者たち―留岡幸助と大原孫三郎』藤原書店, 2003, pp. 254-255)、その指摘はおそらく正しいものの、上記のような専門経営者がようやく進出し始めた状況においては、この株主の引き込みと共存というやり方はある程度妥当なものであったと思われる(なお、この点については結城武延「資本市場と企業統治―近代日本の綿紡績企業における成長戦略」『社会経済史学』78(3), pp. 403-420, 2012も参照)。

 このような株主の引き込みと共存は、昭和金融恐慌や世界恐慌を経た後の1930年頃から広まっていったように思われる。配当性向の動きをみると、1931年をピークとしてその後低下し、戦時期にはさらに低下する。すなわち、株主への配当とするのではなく、内部留保して投資の原資としているわけである。そして上記の武藤の行動からも明らかなように、このような株主の「引き込み」と「共存」は労働者福祉の基盤ともなっている。株主の利害を考慮しつつ、長期的な経営政策の重要性を株主に伝えていくことで、労働者福祉を全体の経営の中に位置づけることが可能になるわけである。

「コロナ後」の企業と株主の関係

 以上述べてきたように、戦前期において、死の影の下に置かれた株主は短期志向的であり、高配当を求めており、明治から大正に至るまで、株主の権限の強さを背景として実際に高配当を得てきた。しかし、専門経営者の台頭と株主への資金的依存度の低下等を背景として、経営者が長期的な視野を持つ経営の重要性を伝え、一方で株主の利益を保護する(配当を極端に引き下げない等)ことで、経営者が株主を引き込み、経営者と株主が共存する体制が作り上げられてきた。

 それでは、このようなことは「コロナ後」の経営に対して何を示唆するだろうか。まず前提条件として考えなくてはいけないことは、現在では株式市場がある程度拡大し、またグローバルに広がったことで、株式が市場で簡単に取引できるようになったという点である。すでに述べたとおり、株式市場が機能しているのであれば、株主の短期志向は経営に影響を与えないはずである。

 しかし、本当にそういってしまってよいのだろうか。最近の研究をみると、投資家が必ずしも合理的ではなく、ゆえに市場も必ずしも適正に機能しない可能性が示唆される。1つは、長期的に得をするだろう投資でも、短期的な損失を恐れてそれを回避しようとする行動(近視眼的損失回避。Benartzi, Shlomo, and Richard H. Thaler “Myopic Loss Aversion and the Equity Premium Puzzle,” Quarterly  Journal of Economics, 110(1), pp. 73-92, 1995)である。

 これを「コロナ後」の世界に当てはめてみると、新型コロナウイルスによる損失にいわば過敏に反応して株式を売却するなど、投資家が近視眼的に行動する可能性がある。また、ファンドによる高頻度売買(High Frequency Trading)は無条件で短期志向をもたらすわけではないものの、企業の長期的価値に基づく分析ではなく価格変動に反応するために、長期的な価値から乖離する可能性が指摘されている(Isaksson, Mats, and Serdar Çelik, “Who Cares? Corporate Governance in Today’s Equity Markets,” OECD Corporate Governance Working Papers, No. 8, 2013)。とりわけ新型コロナウイルスの影響の下では、その影響を恐れて売りが膨らみ、株価が(いわゆるファンダメンタルズから乖離して)急速に下落する可能性がある。

 これらはあくまで可能性にすぎないが、「コロナ後」の世界においては新型コロナウイルスによる経済的なパフォーマンスの悪化を恐れて(これもある意味で「死の影」である)、株主はしばしば短期志向になりうることを示唆している。そうである限り、短期志向な株主に対する対応策を考えておくことには意味がありそうに思われる。

 そして、短期志向の株主への対策として発達してきたのが株主の「引き込み」と「共存」である。「引き込み」はもちろん株主との対話を意味するが、それだけではなく、経営方針の意義を伝える中で、いわば株主をファンにしてしまうような、あるいは前回の言葉でいうならば株主を「コミュニティ」にしてしまうようなことを意味している(この点については高橋伸夫「ダメになる会社―企業はなぜ転落するのか?」ちくま新書, 2010、特にその冒頭の株主総会の例とその次の「タッカー」の例をみてほしい)。もちろん、株主の全員がファンである必要はないが、主要な株主を「引き込み」、会社のファンにしてしまうことで、長期的な経営方針の支持を取り付け、あるいは労働者福祉の充実なども図ることができる。

 もう1つの取り込みの方法はいうまでもなく社外取締役である。社外取締役というと株主に代わって経営を監視するという認識が強く、またもちろんそれは正しいのだが、一方で株主の見方を経営者に伝え、株主を引き込むための情報提供を行うことができる人々という見方もできる。

 いずれにせよ、「死の影」の下でしばしば短期志向になりうる株主に対しては、そのような株主を経営に引き込み、共存していく、言い換えれば株主をファンにしていく必要がある。抽象的に株主との対話というだけでなく、いかに株主(特に主要な株主)をファンにしていくかが重要なのだと思われる。

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