野村総合研究所 データアナリスト
三井 千絵
コロナとの戦いを強いられた今年は、EU等を中心に「気候変動対策」へのアクセルが踏まれた年でもあった。コロナのリスクと気候変動のリスクは、短期と長期という違いはあれど、『リスクをどう認識し、どう対処するか』を開示することの重要性があらためて見直された点は共通しているように思う。そしてもう1つ、今年多くの人々が考えさせられたのは、世界のどの地域もコロナ禍の影響がある中で、気候変動対策を手を緩めずに取り組んでいくべきかどうかだ。
10月26日、菅義偉首相は第203回臨時国会の所信表明演説で、「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」と発言した。これは海外のESGに取り組む投資家や、気候変動関連のリサーチャー、関連NPOなどに大変注目され、「これは日本企業にどのように影響を与えるか?」と聞かれたが、国内ではあまり反響がなかった。2050年などという先のことに対し、すぐに何か動き出すところがあると考えた投資家・企業は多くなかったのではないだろうか。しかし、三菱重工業株式会社(以下「三菱重工」という。)は違った。
中期経営計画の再編
10月30日、三菱重工は新型コロナウイルスや火力事業の環境変化を踏まえ、半年前倒しで(例年は、翌年4月末〜5月上旬に公表)、新たな「中期経営計画(2021事業計画)」(以下「21事計」という。)を発表した。ここでは収益力の回復・強化と、成長領域の開拓を挙げていて、後者には「エナジートランジション」と「モビリティ等の新領域」に21事計期間中に1,800憶円を投資、2030年度に1兆円規模への拡大を目指すと掲げられている。
「中期経営計画(2021事業計画)」目次
Ⅰ. 当社グループの目指す姿
Ⅱ. 21事計の位置付けと目標
Ⅲ. 民間航空機の取り組み
Ⅳ. 収益力強化プラン
Ⅴ. 成長領域の開拓
Ⅵ. まとめ
Ⅲでは、これまでの事業の整理で何回も先送りをしたSpaceJet M90の開発活動について、一旦『立ち止まる』という報告が行われた。このジェット機の開発については、IFRSへ切り替える際に、その開発費を減損せずに消し込んだといって投資家からの批判のもとになっていた(日本経済新聞電子版2020年6月20日WEB版)。この報告は、翌日のニュースで「事実上凍結」と報じられた(日本経済新聞2020年10月31日付朝刊)。コロナ禍で航空機業界の先行きはさらに厳しくなっており、これを聞いてほっとした投資家も少なくなかったのではないだろうか。
続けて「Ⅳ.収益力強化プラン」では、いくつかの分野でリストラを実施することとし、石炭火力事業では2024年までに20%の削減を見込んでいる。
そして注目の「Ⅴ.成長領域の開拓」だが、まず2050年カーボンニュートラル達成に向けて、CO₂の排出を抑えながらCO₂の回収を伸ばすことを掲げ、そのための成長領域を挙げている。CO₂フリー水素やアンモニア製造と備蓄、Energy Management SystemとVirtual Power plantサービスの提供、そしてCO₂の回収・転換利用である。21事計の補足資料では、エナジートランジションにおいて三菱重工がどの部分をになっているか、また今後どの部分への参入を考えているかを示した図が開示されており、21事計発表の前後に新規参入領域への投資を発表していった。

(出所)三菱重工「2021事業計画(FY2021~2023)」31頁https://www.mhi.com/jp/finance/library/plan/pdf/201030presentation.pdf
水素にかける三菱重工
三菱重工は、エネルギー事業の資源を、まるで水素に集中投下しようとしているかのように見える。単にリニューアブルエネルギーに投資をするというわけではない。それまで投資してきた洋上風力発電設備は売却する(10月29日付プレスリリース「ヴェスタス社と三菱重工業が持続可能なエネルギー分野におけるパートナーシップを強化」,Vestas Wind Systems A/S 社(Vestas社)との洋上風力発電設備専業の合弁会社MHI Vestas Offshore Windの株式すべてを Vestas 社へ譲渡することを決定)。
9月に、日立製作所が所有する全株式を三菱重工へ移転したことに伴い、三菱重工の完全子会社となった三菱日立パワーシステムズ(現:三菱パワー)は今、水素発電の実用化へ向けた取組みに力をいれている。また、11月26日には、南オーストラリア州でグリーン水素・アンモニア事業開発に参画、11月30日には、米国の水素製造スタートアップに出資する旨のプレスリリースを行った。後者のスタートアップは、モノリス社というメタンから水素と固体炭素を直接生成するプラズマ熱分解技術をもつ企業だ。既存の火力発電から、カーボンリサイクルと水素/アンモニアの燃料への転換によりCO₂排出ゼロを目指すためだ。
そして三菱重工は11月26日、そのホームページで「エナジートランジション説明会」の動画を掲載(2020年11月26日~2024年03月31日までの期間限定配信)、30日には21事計について、事前参加申込者に対するオンラインでの質疑応答会を開催した(説明会動画はこちら)。そこでは次世代のエネルギーとして水素がいかに重要かを述べたうえで、水素を中心とした、生成、蓄積、発電や供給など様々な事業に取り組んでいくつもりであること、また同時にCO₂の回収や転換利用などカーボンリサイクルに取り組むとことが述べられていた。
これに対し投資家の反応は様々だった。まず三菱重工といえばこれまで機関投資家にはうけがよくない。「どうせ絵に描いた餅では」「2050年の計画などといって先送りしているだけでは」とけんもほろろな意見も聞かれた。また収益予想については「実現性がない」「財務面は『本当?』と思うような計画だ」と厳しい視線だ。一方、気候変動などに力を入れる投資家からは「好感が持てる資料」「よくできている。1つの会社の計画というより、まるで経産省か何かが今後のエネルギーインフラを説いている資料かと思った」とポジティブな意見が聞かれた。
欧州のリサーチ会社は「欧州の企業に比べ、スピード感がない」とやはり厳しい。とはいえ、昨年までの事業戦略説明会には水素など単独の項目すらない。これは、どんどん厳しくなる火力の現状をみて、会社の再起を水素にかけた、驚くようなハンドルの切り方といえるのではないだろうか。
H-ⅡAロケットで培った自社の強み
エナジートランジション説明会では「エナジートランジションを支える基盤技術」という説明も行われた。水素というのは非常に扱いが難しく、燃焼させるために危険が伴う気体だそうだ。しかし、三菱重工は、水素ガスタービンやエンジン等に高い技術を有しているという。その1つはH-ⅡAロケットである。
11月29日にもH-ⅡAロケット43号機の打ち上げ成功が報じられたが、ロケットは水素を燃料とする。この技術をもとにいかに水素の安定燃焼を実現できるかを解説している。

(出所)「エナジートランジションを⽀える基盤技術」5頁https://www.mhi.com/jp/finance/library/business/pdf/et2020_cto.pdf
ある運用会社のESGアナリストは「(スピードが遅い)という声があるかもしれないが、国内では仕方ないように思う。説明会で三菱重工が指摘しているように、技術的に可能でも、今、水素エネルギーはコスト高だ。これをいかに低くできるかは需要がどれだけ伸びるかとセットで決まるため、一社では解決できない。他社の動きや国の計画ができてこないと、実現は難しい。だから様子を見ながら進もうとしているのではないか」と指摘する。
IEA(International Energy Agency:国際エネルギー機関)に昨年まで在籍していたある研究員は、日欧の企業の差は仕方ないという。欧州では7月に発電量にして原発40基分にあたる1,000万トンのグリーン水素を2030年までに生産する計画を発表している(European Commission“Communication COM/2020/301:A hydrogen strategy for a climate-neutral Europe” )。そのような強力な政府のイニティアティブがなければ、水素の需要が伸びない可能性がある中で、どんなに良い発電機器を提供できても収益につなげることは難しい。2050年カーボンニュートラルの達成にあたって政府の計画は非常に重要であり、政府の具体的な計画が見えてこないと投資家も投資判断ができないことを理解してほしいと感じている。個別企業ができることとしては、より良い情報発信しかないだろう。
大事なのはこれから
今回の三菱重工のエナジートランジッションプランにネガティブな意見をいったあるアナリストも、コロナ禍からの回復や2050年カーボンニュートラルに向かう計画としてこれを打ち立てたこと自体は興味深く思っている。そして「重要なのはこれからだ」という。これから毎年事業戦略説明会や決算説明会等で進捗を説明することが重要だと述べる。
このアナリストは通常、ガバナンスに重きをおいている。ESGに関することでも、どういった体制でそれを実現していくかが将来の成功のカギになるとみているため、三菱重工に対しても、その点を期待しているという。財務面も含めて、これから実現に向けてしっかりとしたモニタリング体制を構築し、進捗を管理し、それを投資家に説明できれば期待ができるのではないかと考えている。
逆に言えば、三菱重工がここまで大きく転換し、水素社会のために持てるリソースを投入するという事業計画を立てているのであれば、投資家はそれを評価し、必要に応じて意見し、議論に参加すべきだろう。2050年カーボンニュートラルの実現への道筋は簡単ではないが、投資家と企業が同じ目標をもって進むことが重要ではないだろうか。
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