東京大学教授 清水 剛
著者は、昨年、本サイトに3回にわたって「感染症と『死』、そして企業経営」(第1回、第2回、第3回)を寄稿させていただいた。今回、それぞれの論稿に大幅に加筆・修正を行い、さらに新しい章を加えて、『感染症と経営:戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか』(以下、『感染症と経営』)として出版した。編集を担当してくださった土生健人さんおよび中央経済社の関係の皆様には改めて深く御礼を申し上げたい。
この本の刊行にあたって、紙幅の都合で本に掲載できなかったことや、執筆後に考えていたことを書きとめて、この本で一体何を言おうとしているのかについて紹介させていただくことになった。言ってしまえば『感染症と経営』へのイントロダクションということになるだろうか。『感染症と経営』と併せてお読みいただければ幸いである。
「風が立った、いざ死のう」
『感染症と経営』で最初に言おうとしていたことは、戦前の日本社会は、我々が生きる「withコロナ」の社会と同様に、あるいはそれ以上に、感染症がもたらす死の可能性、あるいは死の可能性がもたらす将来の不確実性にさらされていた社会であった、ということである。
「Withコロナ」の社会では、我々は自分が新型コロナウイルス感染症によって死ぬ可能性や、死なないまでも重症化し、これまでの生活を続けることができなくなる可能性にさらされている。言い換えれば、新型コロナウイルス感染症により死が身近になり、将来は不確実になったのである。
このような感染症による死の可能性、あるいは将来の不確実性の増大は、戦後の日本社会ではほぼ忘れ去られていた。第二次世界大戦前後からの医療技術の進歩や新しい医薬品の登場(例えば、ペニシリンやストレプトマイシン等の抗生物質)により、感染症による死亡のリスクは大幅に低減し、平均寿命が急激に延びたためである。
しかし、戦前の日本社会を振り返ってみると、そこは現在の我々の社会以上に死が身近であり、将来が不確実な社会だった。1918-20年の「スペイン風邪」、すなわちインフルエンザの大流行は今回の新型コロナウイルス感染症との関係でもしばしば取り上げられるが、それだけでなく、当時は結核によっても非常に多くの方が毎年亡くなっており、さらにコレラ等の他の様々な感染症が存在していた。このために、戦前の人々にとって、感染症による死はいわば「そこにあるもの」だったのである。
この点については『感染症と経営』の中でも『細雪』や「命短し、恋せよ乙女」のフレーズで有名な『ゴンドラの唄』の例を挙げて説明したが、ここでは別の例を紹介しておこう。それは、堀辰雄の小説『風立ちぬ』(1936-38年に発表、刊行は1938年) のタイトルの元になった「風立ちぬ、いざ生きめやも」と いう一文である。
堀辰雄の『風立ちぬ』は結核にかかった人々の死と生を描いた文学作品(いわゆるサナトリウム文学)の中でも名作として知られている。近年では、この作品に影響を受けた宮崎駿の同名の映画で知る人も多いだろう。
この作品は結核にかかった婚約者と「私」との物語であるが、そのタイトル『風立ちぬ』はもともとフランスの詩人ポール・ヴァレリー(Paul Valéry)の詩『海辺の墓地』(Le Cimetière marin)の中の一節 “Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”を堀自身が「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳したことに由来している。
ところが、この堀の訳は誤訳であるという指摘がある。よく知られるのは大野晋と丸谷才一によるものであり(大野晋・丸谷才一『日本語で一番大事なもの』中央公論新社、1990年)、ヴァレリーの詩は「生きようと努めなくてはならない」という意味になるのに対し、「生きめやも」というのは「生きようか、いや、断じて生きない、死のう」という意味になるというのである(86-88頁)。すなわち、「生きめやも」 は反語表現というわけだが、この点については論争があり、『万葉集』の用例等を踏まえた上で「さあ生きようか、いや生きられるだろうか」と理解できるという説もある(例えば土佐朋子「堀辰雄『風立ちぬ』と『万葉集』―『死者の山』『黒髪の雪』など―」『東京医科歯科大学教養部研究紀要』48, 1-19, 2018年)。
いずれにせよ、「いざ生きめやも」という言葉は通常は「いざ死のう」と解釈される言葉であることは間違いないようである。
ただし、齋藤茂吉による上代文法の「誤用」について論じた品田悦一は(「畸形の文法―近代短歌における已然形終止法の生成―」『萬葉』217, 1-20, 2014年)は、「大切なのは、これを単なる「誤用」として切り捨てないことだろうし、じっさい切り捨てられるものではない」と指摘し、さらに「読者である私たちが茂吉の「万葉語」から受け取るべきものは、何よりも、異常な言い回しが放射する不可思議な、奇異な、そして戦慄的な感覚でなくてはならない」とも指摘している。ここからすると、堀の「いざ生きめやも」についても、誤用と指摘するだけでなく、それがもたらす感覚をこそ重視しなくてはいけないということになろう(以上については福田武史・武蔵大学教授のご教示による)。
これを踏まえて、実際に「いざ生きめやも」が使われているシーンを見てみよう。
「そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
ふと口を衝いて出て来たそんな詩句を、私は私に靠(もた)れているお前の肩に手をかけながら、口の裡(うち)で繰り返していた。」
『堀辰雄作品集 第3』角川書店、29-30頁
この「お前」(婚約者)が当時死病であった結核患者であったことを踏まえれば、ここで「一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留め」た理由は言うまでもなく死の予感であろう。その上で「私」は「風立ちぬ、いざ生きめやも」という言葉を「口の裡で繰り返して」いる。このように見ると、死に直面する中で、死に抗う気持ちと死を受け入れようとする気持ちが混じっているというのはさほどおかしなことではないだろう。
すなわち、「いざ生きめやも」という奇妙な「誤訳」は、死が身近にあるという現実とその中で生きようとする気持ちが重なっているところにある言葉であり、そうであるがゆえに誤訳であっても(あるいは誤訳であるがゆえに)印象的な、あるいは「戦慄的な」言葉となったということになるのではないか。すなわち、この「いざ生きめやも」という言葉は、死が身近にあるという戦前の日本社会の現実から生まれた言葉なのである。
「何をどうやって、どうしていけばいいわけ?」
そして、このような死の身近さは、実際に人々の生活に様々な不確実性をもたらしていた。この点については、上記『感染症と経営』の終章でも引用した、樋口一葉が父の死後に日記に書き記した言葉を見るのがよいように思われる(樋口一葉『樋口一葉全集第三巻(上)日記Ⅰ』(筑摩書房、1976年)14頁)。
「世の中の事程しれ難き物はあらじかし 必らずなど頼めたる事も大方は違ひぬさえひたぶるに違ふかとすれば又さもなかりけり いかにしていかにかせまし」
この文章、『感染症と経営』ではあえて原文のままにしたが、いささか唐突な感があったかもしれない。そこで、門賀美央子『文豪の死に様』(誠文堂新光社、2020年)にある現代口語訳を引用してみよう。
「世の中の事ほどよくわからないものはないよね。必ず大丈夫だろうとあてにしていたことは大方望みとは違う結果になるものだけど、だからといって完全に違う結果にばかりなるかというとそうでもなかったりする。こんな世の中、何をどうやって、どうしていけばいいわけ?」
「いかにしていかにかせまし(何をどうやって、どうしていけばいいわけ?)」という一文から、父の急死により急に家族の面倒をみなくてはならなくなった一葉の心情が伝わってくるが、その背景には父と兄が亡くなっている(そして後に一葉自身も若くして亡くなる)という意味での死の身近さと、それがもたらす生の不確実性あるいは不安定性があることがわかるだろう。
我々もまた、「withコロナ」の時代において、しばしば「こんな時代、どうやって生きていけばいいんだ」と叫びたい気持ちになるだろう。その感覚は、まさに樋口一葉が感じていたことでもあり、戦前の日本社会と「withコロナ」の社会との共通点を示すものなのである。
「上司は自分自身」
それでは、そのような死の可能性とそれがもたらす将来の不確実性の中で、我々はどのように生きていけばよいのだろうか。『感染症と経営』では、企業とステイクホルダーとがこの死の可能性や将来の不確実性にどのように対応したかを、労働者、消費者、株主のそれぞれについて検討した。詳細は『感染症と経営』をお読みいただきたいのだが、まとめてしまえば、企業とステイクホルダーとが関係を構築することによって対応してきた、ということになる。
「関係」というといささか曖昧であるが、ニュアンスとしては信頼関係あるいは協力関係というのが一番近いだろう。企業とステイクホルダーとがある程度継続的な関係を持ち、その中でお互いに相手に対して協力的な行動を取ることで、企業が死の可能性に対応し、あるいは将来の不確実性に対応できるようにする。ステイクホルダーの側から見れば、企業自体が、様々なステイクホルダーによる協力関係のもとで、死の可能性や将来の不確実性に対応する1つの手段になっているのである。
もちろん、死の可能性や将来の不確実性に対応する方法は1つではない。しばしば言われるように、ITの力を利用しながら、企業を利用(媒介)せずに個人が市場で取引相手と結びつく、ということも不可能ではない。また、企業を利用することにはマイナスの効果がある。企業に依存してしまうことで、企業が力を持ち、企業が個人を支配してしまうということが出てきてしまうのである。昨今、Uber運転手やオンラインの講師等、単発あるいは短期の仕事を請け負う「ギグワーカー」が注目されているのも、その背景には、ITの発展によりそうした働き方が可能になったということだけではなく、企業に力を持たれることへの不安感あるいは企業への不信感があるのかもしれない。
しかし、企業を利用しないという選択肢は同時にしばしば大きなコストをもたらす。このことを示すのもまたギグワーカー達である。ギグワーカー達は企業に依存しない代わりに、いわば生身で死の可能性や将来の不確実性を引き受けることになる。仕事の単価が安くなれば、朝から晩まで仕事をして補わざるをえない。仕事がいつ途切れるかわからないために生活には常に不安が付きまとう。交通事故にあっても誰も補償をしてくれず、今と同じ生活が送れるとは限らない。朝から晩まで働き、シャワーさえ浴びられない、というUber運転手の例は、生身で市場の不確実性に対応することの厳しさを示している(例えば「ウーバー運転手、評価は『臭い』 激務でシャワーすら」朝日新聞デジタル2019年11月21日)。
このような状況に対して、再度企業という手段を利用しようとする動きも出てきている。例えば、カリフォルニア州ではUber等の企業に運転手を従業員として扱うことを義務付けたいわゆる待遇改善法が2019年に可決され、20年に発効した。また、2019年3月にはフランスの破毀院(最高裁)が、今年の2月には英国最高裁が、Uberの運転手は個人事業主ではなく従業員であるとの判断を示している(Arrêt n°374 de la Cour de cassation, Chambre sociale, du 4 mars 2020 (19-13316), Uber BV and others v. Aslam and others [2021] UKSC 5)。Uberはこの英国最高裁の判断を受けて英国のUber運転手を従業員として扱うことにしたとされる。
ただし、一方で企業を利用することに対する不信感あるいは不安感も根強い。上記カリフォルニア州の待遇改善法について、Uber等は激しいロビイングを行い、2020年11月の住民投票により自分たちを同法の適用除外とすることに成功したが、その中では運転手の側にも自らの独立性を維持し、また仕事を増やしたいという意向があったとされる。Uberのホームページ(ページタイトルを参照)にある「Be Your Own Boss(自分自身の上司になる)」(日本語ホームページ(上記同様ページタイトルを参照)では「上司は自分自身」)という言葉は、この独立性に対する希望を象徴的に表している。また、日本でもウーバーイーツの配達員の労働組合である「ウーバーイーツユニオン」が2019年10月に結成されたが、ウーバーイーツの配達員は柔軟な働き方ができるという点が良いということから、必ずしも労働者として企業の中に取りこまれることをよしとしない場合も多い。「以前の職場でパワハラに遭った」から雇用によらない働き方で自由を維持したいというウーバーイーツユニオンの執行委員長・土屋俊明氏の例は、企業がパワーを持ってしまうことの問題を示していると言えるだろう(「ウーバーが迫る究極の選択 競争激化で働きやすくなるか」朝日新聞デジタル2020年12月1日)。
ただ、企業を利用することが危険である、すなわち企業に中にいることで企業あるいはその権力の代行者たる上司に従わざるを得なくなる、ということと、そうであるがゆえに企業を利用する必要がない、というのは分けて考えるべきだろう。企業を利用しない生き方を否定する気は全くないが、多くの人にとって企業を利用しない生き方というのはコストがかかりすぎる。むしろ、企業あるいは上司のパワーに対抗できるような方法を考えるべきではないだろうか。『感染症と経営』では、労働者が他の企業に異動できるような能力を持つことや広汎な連帯の可能性を示唆したが、企業という道具を利用しながら、しかし企業に依存しない生き方が必要なのではないだろうか。
追記:2021年5月5日にバイデン政権はトランプ前政権の下で作られた従業員と独立請負人の区分に関する規則の撤回を発表した(例えば「バイデン米政権、ギグワーカー巡る前政権の規則撤回 権利保護重視」ロイター、2021年5月6日)。この規則の下ではギグワーカーは従業員と分類されにくいと指摘されていたが、この規則の撤回により、連邦法の下でギグワーカーが従業員と分類される可能性が高まることになる。
コメント