公への関心と自律を研ぎ澄ます読書のすすめ(連載「ニューノーマル時代の読書術」)

読書術&書評

東京大学名誉教授
醍醐 聰

この記事は、企業会計2021年6月号(連載「ニューノーマル時代の読書術」)より執筆者の許可を得て転載したものです。


 不確実性がいっそう強まるニューノーマルの時代に会計人は,組織の一員であると同時に社会の一員,家族の一員,そして自律した個人として,どのように理性的に,また心豊かに生き抜いていくのか。その糧となりそうな書物を紹介したい。

企業会計と税財政のすみ分けを越えて

 バブル経済の最盛期には規制緩和論,「小さな政府」論が論壇を席捲した。しかし,その後の低成長期,東日本大震災,そして新型コロナ禍の現在,「時短要請は休業補償とセットで」という声が事業者共通の死活的要望となり,大規模な財政出動が自明のことと受け止められている。

 「東京商工リサーチ」の調査によると,全上場企業3,833社の16%にあたる648社が2020年4月から2021年1月末までに雇用調整助成金の特例措置を活用,これら企業が計上した助成金合計額は2,878億円に上る。ここで,会計人の頭にまず浮かぶのは,助成金を助成の対象経費(給与等)からの控除として処理するのか,それとも独立の営業外収益に計上するのかといった会計処理問題である。

 確かにこうした実務上の問題も避けて通れない。しかし,視野を広げるとコロナ緊急対応期の雇用調整助成金の財源は,雇用維持のための正規の助成の延長として,事業主が負担する雇用保険料ですべて賄うものなのか,あるいは,コロナ感染症対策という国策の一環と捉え,かつ,雇用保険被保険者でない短時間労働者も支給対象になっていること等から,財政資金で賄うべきなのかという,より大きな問題にぶつかる。

 酒井正『日本のセーフティーネット格差』(慶應義塾大学出版会,2020年)は,「労働市場の変容と社会保険」という副題からもわかるように,コロナ禍で浮き彫りになった日本の社会保険制度の脆弱性と限界を理論,実証の両面から俯瞰した数少ない専門書であるが,記述は平易である。たとえば,「皆保険」なのになぜ未納者がいるのか(第1章),社会保険料は本当に事業主負担なのか(負担の転嫁・帰着の問題。第5章)など,その分野の専門家の間では周知でも一般にはあまり知られていない重要な論点を掘り下げて検証している。

 本書が特に焦点を当てているのは,若年層への就労支援が本当に彼らにとってのセーフティーネットになっているのかという点である。著者は若年期に不況を経験し,学卒と同時に非正規就労や不本意就労を始めた世代は,その後,景気が回復しても安定的な雇用に移行しにくかったり,職探しを止めてニート化したりするという実証データを紹介している。また,学卒時の就業形態がその後の家族形成(結婚や出産)にも影響しているという実証研究を紹介している。しかし,彼らを社会保険に包摂するための「適用拡大」あるいは最低賃金制は,無職の若者を取り残す一方,世帯ベースでみれば低所得層とはいえないような主婦パート,アルバイトにも一律に適用され,支援を必要としない者にまで恩恵が及ぶ結果になることもあると指摘する。そこで,著者は若年層に真に有効な「第2のセーフティーネット」として,「雇用経験(保険料拠出)を前提にしない給付」を提案する。

 しかし,「保険料拠出を前提にしない」というなら,給付財源をどこから確保するのか。一律税方式だとすれば,逆に不公正な再分配を生まないかという疑問が起こる。

 加えて,2021年度の一般会計税収はコロナ禍による法人税の大幅な落ち込み等で対前年比9.5%減の57兆円と見込まれ,膨らむ財政需要とのギャップを賄う新規国債発行は100兆円を超えると予想されている。コロナ禍対応を迫られた地方財政も同様である。東京都は昨年5月の時点で,不測の事態に備えて設けた財政調整基金の95%近くを取り崩した。京都市も昨秋,2021年度予算で500億円の財源不足となり,2028年度頃に「財政再生団体」に転落しかねないとの見通しを示した。つまり,公的部門の大
規模な財政出動が不可避な自然災害多発の時代には,企業業績が国・地方の利益連動税収を左右すると同時に,国・地方の財政出動の規模と内容が企業の経営環境と業績にも少なからず影響するという相互関係がいっそう密になる。

 こうなると,公会計研究者はもとより,企業会計の研究者,実務家も国・地方の税財政状況と財政資金の流れに無関心ではいられない。公刊された書物ではないが,アジア太平洋研究所主席研究員・藤原幸則氏が「インサイト:トレンドウォッチ」(APIR((一財)アジア太平洋研究所)のウェブサイト内)に発表した一連の論稿:「新型コロナウイルス対策で見えた地方の財政力格差―税源交換による地方税の偏在是正・税収安定化を―」(2020年8月21日),「新型コロナウイルス対策特別会計(仮称)の設置―予算・執行の透明化と財政規律の確保を求める―」(2020年10月20日),「雇用調整助成金の効果と課題―新型コロナウイルス感染症特例措置をめぐって―」(2021年1月19日),「コロナ危機下における企業の財政調整―法人企業統計調査結果から考察した課題―」(2021年3月18日)はこのような問題意識に応える労作である。

 また,武田公子『地域戦略と自治体行財政』(世界思想社,2011年)は,第7章で社会保障分野の財政構造を,第13章で災害時の自治体財政のあり方を取り上げている。さらに武田公子「震災と自治体財政―陸前高田市と過去の被災地の事例から―」(『愛知大学経済論集』2013年1月)は十数回にわたる著者の被災地支援活動の経験をもとに,被災自治体の復興財源保障構造を具体的な経費ごとに,また復興交付金・復興特別税も取り上げて,丹念に分析した論稿である。

リスク社会が会計に突き付けたテーマの洗い出し

 コロナ禍は会計に携わる人々に,不確実な将来事象に係る負債の認識という古くて未解決な問題を改めて先鋭に突き付けた。久保淳司『危険とリスクの会計』(中央経済社,2020年)はアメリカでの会計基準設定過程の克明な実証を通して,このテーマに挑んだ本格的な専門書である。コロナ禍への会計的対応という問題意識からいうと,未然防止・予防が社会の喫緊の課題となったリスク社会論という視点から,これらの活動にともなって発生する負債を,いつ,どのような要件で会計上,認識するのかについて,アメリカでの会計基準設定過程を時系列で跡付けながら詳細に検討している(540頁以降)のが興味深い。ここでいう「未然防止」とは因果関係の明確化を待っていては対処が遅れ,回復不能な損害をもたらすような事例に直面した場合に,社会的な要請に応えて対処する措置をいう。つまり,損害発生の可能性について合理的な根拠はあるが,その蓋然性なり損害の程度なりを科学的に明らかにできない場合でも,対処可能な予防策を講じるというわけである。
 本書は,こうした問題に会計が負債認識の面からどのように対応するのかについて概念整理をしたにとどまり,具体的な回答を示しているわけではない。しかし,優れて現代的でスケールの大きなリスク社会論という視点から,不確実性が増す時代に会計に投げかけられるテーマを丹念に洗い出した本書の業績は貴重である。

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