2項対立的な思考を読み解き,その先へ(連載「ニューノーマル時代の読書術」)

読書術&書評

会計学のもう1つの読書術

 スティホーム下の読書から導かれた3つの読書術はありきたりの術で,記すのも恥ずかしい類いのものだ。いってみれば,鳥の目のように高所から全体を俯瞰的にながめ捉えるだけでなく,蟻の目のように地べたから現に生じている,自分にとって小事ではあるが将来に重大な事象と思われるものを発見して,その意味を問い直し,魚の目のように流れの行く末に棹さしながら,自らの立ち位置を定める読書の術がいま求められる,といっているようなものだから。

 それでもこの3つの読書術を使うと,会計学の読書術はどうなるか。私は20年ほど前,本誌で当時のわが国の会計学が,国際会計基準の影響をうけつつある会計制度(基準)を2分法――2項対立的思考――で仕分けして,そのどちらかに依拠して論理を構成するアプローチに疑問を呈したことがある1。収益費用中心観対資産負債中心観はその典型であるが,原価対時価評価をめぐって貨幣流列を中心にみる貨幣動態会計と財貨からみる財貨動態会計の対立もあった。

 さらに現代会計では,2つの型の経済をめぐるとらえ方の対立ないし転換,すなわちプロダクト型経済からファイナンス型経済への転換がそれぞれ伝統的な会計(基準)とIFRSに代表されるグローバル会計(基準)の基礎にある,とみるアプローチもある。

 ニューノーマル時代の読書術は,こうした会計(基準)に対する絶対的な2項対立的思考から逃れて,もう一度,会計(学)の捉まえ方を考えなおすための術にかかわっている。いいかえれば,2項に枝分かれする前の幹とそれを支える根の張りかたをじっくり眺めることから,第4の読書術が導かれるのではないか。

 この読書術の教材になると思われる2冊がある。諸富徹『資本主義の新しい形』(岩波書店,
2020年)
マキナニー(倉田幸信訳)『日本企業はモノづくり至上主義で生き残れるか』(ダイヤモンド社,2014年)

 『資本主義の新しい形』は,資本主義の「物質化から非物質化は,モノづくりからコトづくり」への転換,そしてこの転換の1つが「サービス産業と製造業の融合」にあるという。それに対応して,「消費者の求めるものが,モノそのものから,モノで生み出される非物質的な価値/サービスへの移行」とみている。それゆえ,「製造とサービスの業の融合は,製造によるモノ作りはそれで終わりでなく,その後のサービス,あるいは顧客のニーズや製品やサービスの枠組みをつくり変えるための出発点」とみれば,「企業ははたしてモノを作るのか,サービスを提供するのか,その両方なのか,それともそうした二分化で考えるのが間違いで,新たな次元のなにかであるのか」と述べて,2項対立のとらえ方を戒めている。

 もちろん,こうした転換をうながす要因には,脱炭素化に象徴されるエネルギー集約型から知識集約型への産業構造の転換がある,と著者はいう。それはモノ作りからの転換でなく,モノの作り方の転換,いいかえればモノ作りが国際社会とのかかわり方と連携し,ドラスティックな組替えをもとめているといってもよい。問題は産業と企業の組替えにわが国企業と政策が大きく立ち後れているところにある。

 このマクロの転換がミクロの会計にどんなかたちで影響しているのか。私はこの何年も大学院講義の背景に,『日本企業はモノづくり至上主義で生き残れるか』という本の考え方をおいている。図らずも,『新しい資本主義の形』の著者もその核に本書を位置づけている。マキナニーは,キャッシュフロー,とりわけ運転資本の増減が企業活動にとって重要な指標の1つとは考えず,この指標の構成要素を変えずにキャッシュ化速度指標という新しいコトバで,そのコトバの意味することを問うている。キャッシュ化速度の高い競争とは,消費者の嗜好する財,サービスがサプライチェーンから「顧客に真っ
先にたどり着き,情報をマネジメントすることで利益を上げる」企業,すなわち「顧客との接触レベルが高い」企業を意味しているとみる。

 だから,キャッシュ化速度指標が低い企業はサプライチェーンから顧客サイドとの一体化が低レベルであることを表している。他方,「将来どこかで必要となると予想した部品に対し何年も前に先払い」して,「市場の大半を前もって占有している」とすればキャッシュ化速度は遅くなり運転資本の数値は悪化する要因となるが,B/Sの力――将来のキャッシュフロー創出力――は強くなる。それはP/LでなくB/Sから企業価値を見る意味を明らかにしているといってよい。著者はこのキャッシュ化速度という「言語」を話し理解できなければ,顧客から予想外の拒絶をうける,といっている。いってみれば,その指標は顧客の財・サービスの満足度をあらわしている。

 ここでも従来のコトバに新しい意味を付与して,新たな言語の体系を構築している。ニューノーマル時代の読書術とはそうした読替えを学び,その力を蓄えることでもある。こうした観点にたって,レブ=グー(伊藤邦雄監訳)『会計の再生』(中央経済社,2018年)を再読するとまたまた知見がえられるであろう。同書は財務情報と企業価値――株価――の乖離の拡大を実証して,財務報告書の無能ぶりを完膚なきまでに暴露している。その背後には上で述べたようなマクロ,ミクロの大きな転換があることを知るであろう。それだけに,同書の提案,従来の財務報告書に代えて戦略的資源・帰結報告書が十全であるかどうか,考えたい。

最後に,再び方法論へ

 ここまで書いてきたように,ニューノーマル時代における私の読書術は,2項対立的思考をどのように克服するかという問題に関連しており,難しくいえば方法論につながっている。それゆえ,いま,わが国――いうまでもなく世界――の会計学研究を席捲している実証主義研究に対する批判のための術であると受けとめられ,後退しているとみる向きもあるかもしれない。だが本稿の趣旨は,ニューノーマル時代の世界の行く末は予断をゆるさないだけに,研究の方法論についても一義的でなく多義的に考え,次に備えるための読書術の1つを示したにすぎない。

 その意味で,ダイアモンド=ロビンソン『歴史は実験できるのか』(慶應義塾大学出版会,2018年)柄谷行人『世界史の実験』(岩波書店,2019年)はもっと注目されてよい。それらは人文・社会科学では自然科学とちがって実験できないのに対して,自然実験法という手法をつかって,同じ問題が異なる地域でどのように異なって発生したのか――たとえば,「銀行制度はいかにして成立したのか―アメリカ・ブラジル・メキシコからのエビデンス」――を史実に基づいて――それと蓄積された知見の力を得て――,検証する方法論である。制度の違いを単に文化の違いにもとめるようなとらえ方でなく,地勢の違いとその影響をうける自然現象を含めた人間行動と社会・政治との交錯を対象とした「エビデンス」に基づく方法論である。

 以上のとおり,本稿で示した読書術はスティホーム下にある私の読書歴といえなくもないが,少なくとも私はここに掲げた読書術で読書し考え,ニューノーマル時代を乗り切るしか術はない。

  1. 今福愛志・田中建二「『資産と負債の会計学』の考え方と捉え方 第1回」『企業会計』Vol.53 No.4(2001)。本稿はつぎに所収されている。拙著『企業統治の会計学』中央経済社,2009年,第1章。

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