感染症と「死」、そして企業経営―戦前の日本社会から「コロナ後」を考える

Opinion

「死」と企業経営(続き)

再掲)「死」が身近な社会において予想される経営の方向性
A 一般の労働者も含む広い範囲に生活・衛生環境の改善を行い、その結果として人的資本の蓄積に結びつける。場合によっては、労働節約型の投資が並行する可能性がある。

B 一般の労働者については生活・衛生環境の改善なども行わない。ただし、この場合でも例えば熟練工や一部の事務労働者については生活・衛生環境等の改善のための投資を行う可能性がある。

戦前期紡績業にみる経営の実態

 以上はざっくりと経営の方向性を想定したものだが、実際はどうだったのだろうか。 日本の紡績業を例にとってみれば、経営としてはからに移行していったように思われる。

「女工哀史」

 伝統的な紡績業のイメージは、のイメージ、というか「女工哀史」のイメージではなかったかと思われる。

 例えば1903年に農商務省がまとめた『職工事情』の中の『綿絲紡績職工事情』を見ても、若年の女性労働者について、深夜労働を含む長時間労働、必ずしも広くはない寄宿舎(占有空間は1人当たり1畳、つまり10畳の部屋に10人が住むのが普通であるとされる)に大人数で生活するといった事情に加え、疾病について女工の多くが胃腸炎や気管支炎を起こしていること、死亡理由の1位が結核であること、死ぬ前に結核で故郷に帰らされる女工も多かった(これが故郷に結核を持ち帰る原因にもなった。岩崎前掲論文参照)ことなどが指摘されている。

 しかし、このような経営には1900年前後からすでにいくつかの問題があらわれていた。1つの問題は女工の供給不足であり、これに加え女工の健康それ自体も問題となっていた(これはそれ自体が問題というだけでなく、農村における結核の拡大が政治的な課題となっていた)。

 このようなことから、一方で新しい技術や管理方法を導入するとともに、他方で女工の生活環境や衛生状態を改善して女工の定着を図ろうとする動きが起こってきた。

鐘淵紡績、倉敷紡績などの先駆的事例

 その先駆的な例としては、武藤山治率いる鐘淵紡績と、大原孫三郎の倉敷紡績であろう。武藤山治のこのような方針は「温情主義経営」のような名前で知られるが、寄宿舎の改善や共済組合の設置のみならず、女工への教育機会の提供や社内報の発行、保育所の設置等多岐にわたっている。

 このような動きは武藤山治が全社の支配人となった1900年以降、1900年代前半から継続的に行われている(例えば桑原哲也「日本における工場管理の近代化―鐘淵紡績会社における科学的管理法の導入, 1910年代―」『国民経済雑誌』172(6), pp.33-62, 1995、下川進「明治・大正期の日本紡績企業による労働者の生活過程管理」『日本経営学会誌』25, 28-38, 2010.)。

 一方で、大原孫三郎率いる倉敷紡績もまた、女工のための寄宿舎を小規模の家族的な寄宿舎に変え(1908年から)、また女工への教育機会を提供する等、やはり女工の生活・衛生環境を改善しようとしていた。武藤山治と異なりオーナー経営者であった大原孫三郎はより長期的な視点に立った経営を行ったと評価されており、武藤山治とは異なった思想を持っていたことも指摘されている(兼田麗子『福祉実践にかけた先駆者たち―留岡幸助と大原孫三郎―』藤原書店,2003.)が、やはりこのような行動が会社の利益と一致するものであると考えていた。

 以上のようなの方向性に向かう流れ、すなわち女工の職場環境を改善し、定着を図ることで生産性の向上を図る流れは、第一次世界大戦後以降広まってきた。この結果、改正工場法の施行により1929年に女工の深夜労働が禁止される時期には、女工の環境もかなり改善されていた(谷敷正光「「工場法」制定と綿糸紡績女工の余暇―工場内学校との関連で―」『駒沢大学経済学論集』35(3), 1-34, 2003)。

 もちろん、女工の生活環境にはなお問題が残っていただろうし、後に戦時体制に移行する時期に結核が増加したことを考えれば、工場における衛生の問題はなお大きなものだったと思われる。しかし、「死」が身近にある世界において、労働者をいわば使い捨てる経営から、労働者の環境を改善し、「死」の可能性を引き下げていくことで、人的資本の蓄積を促し、それを利益につなげていく流れが拡がっていったことは改めて記憶されるべきだろう。

「コロナ後」の経営の方向性

 以上を踏まえて、改めて歴史的な検討が「コロナ後」の経営にどのような示唆を与えるかを考えてみよう。

 まず、前提条件を確認しておこう。まず、とりわけ日本において今回の新型コロナウイルスの影響により、例えば死者が増加して労働者が大きく減ることはないだろう。むしろ、失職者の増大により労働供給そのものは増えるかもしれない。

 しかし、一方で対人接触を伴う職種については就業希望者が減少する可能性があり、景気回復につれて労働需給がひっ迫する可能性がある。このような問題はもちろん医療従事者(医師・看護師・検査技師等)で顕著になるだろうが、それだけでなく、営業職や販売スタッフ、レストラン等における接客スタッフ(ここには、いわゆる水商売等も含む)についても就業希望者が減少する可能性がある。新型コロナウイルスの影響で職を失った人が集まることで一時的には就業希望者が増えるかもしれないが、景気回復とともに他の職種が選べるようになれば感染を恐れて就業希望者が減少するかもしれない。

 そうした場合、このような職種に就業を希望する労働者はより希少な、貴重な存在になる。上記の戦前期における紡績業の経験は、広く労働者の生活・衛生環境に配慮し、定着率を高めることで、生産性の向上を図るというのはそれなりに合理的であるということを示唆していた。そうであるとすれば、このような販売や接客を主とする産業においても、戦前の紡績業と同様に、労働者の生活・衛生環境の改善に配慮することで労働者の健康を守り、またそれによってスタッフの離職を抑え、ノウハウの蓄積を行っていくという方向性が理に適うかもしれない。

 労働環境を改善するというのは、何も難しいことを言っているわけではない。例えば、かかりつけ医との連携を高めて、また上司の意識を変えて病気になった時に病院にかかれるようにする(倉敷紡績のように病院を作るというわけではないにせよ)、休みを取りやすくする、借上げの住まいや寮を提供して住環境を改善する、けがや病気で休む時に手当を支払う、といったようなものを想定してもらうとよい。特別な対応ではなく、ある意味で当たり前のことである。

 しかし、人手を確保しやすい産業であれば、企業によってはこのような配慮が十分でなかったのかもしれない。このコロナ禍を機会として改めて労働者の生活・衛生環境に配慮するという当たり前のことができているかを確認するのがよいように思われる。

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